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3・放っておけない人…… Page12

last update 最終更新日: 2025-03-06 12:41:29

「――っていうか、原口さん。あなた、夕方に来た時よりスッキリした表情(かお)してますよ」

「えっ、そうですか? 先生が話聞いて下さったおかげさんですね。ありがとうございます」

「いえいえ! 私は何も!」

 むしろ出すぎたマネをしようとしたんですけど。これで感謝されていいんですか、私? ――何はともあれ、お酒ですっかりでき上っちゃってるとはいえ、原口さんが上機嫌(きげん)になってくれて、私はホッとした。

   * * * *

 ――テーブルの上のおつまみも乾(かわ)きものだけになり、六本あった徳用缶チューハイも残り二本になった頃。時刻は夜の九時半過ぎ。

「原口さん! そんな酔い潰れちゃって大丈夫なんですか!? ちゃんと帰れますか!?」

 彼はアルコールに相当弱いらしい。三時間以上も飲み続けていたら、もうベロンベロンになってしまっていた。下戸だとは聞いていたけれど、こんなに前後不覚(ふかく)になるまで酔っ払ってしまうとは!

「はぁ~い、俺はダイジョ~ブです~。ぜ~ん然酔っ払ってなんかいまへ~んよ~~」

「……ダメだこりゃ」

 完全に酔っ払いですがな。呂律回ってないわ、関西弁になってるわ。

 とどのつまりは、一人称が「俺」。――彼が「俺」って言うのは怒っている時だと思っていたけれど、「酔うと〝素〟が出る」って聞いたからやっぱりこっちが彼の素なんだろう。……それはともかく。

「原口さん、全然大丈夫じゃないじゃないですか! 電車通勤でしょ!? 駅に着くまでに事故にでも遭(あ)われたら私が困るんで!」

 このまま寝てしまったら、彼はどちらにせよ今日は帰れなくなってしまう。終電は確実に逃(のが)すだろうし、タクシーに乗っても行き先をちゃんと運転手さんに伝えられるかどうか怪しいところだ。

 ……と引き止めてみたところで、どうしたものか? 考え抜いた末(すえ)に出た答えは一つしかなかった。それはあまりにも大胆な提案だったのだけれど。

「原口さん、今夜はウチに泊まっていって下さい」

「…………へっ? なんですってぇぇぇ!?」

 一瞬キョトンとした後、原口さんが思いっきり取り乱した。彼の酔いは、さっきの私の発言で少し醒めたことだろう。……多分。

 私は別に、男の人をこの部屋に泊めることには何の抵抗(ていこう)もないのだけれど。彼にとってはそのこと自体が衝撃(しょうげき)的だったのだろう
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    「そそそ、そんな! 独身女性の部屋に男が泊まるやなんてとんでもないっ! 何か間違いがあったらどうするんですか!?」 彼は大まじめに抗議するけれど。酔い潰れた状態で言われても説得力は半分以下だ。「間違いって?」「いや、だからそそその……何や。俺が先生の寝込み襲(おそ)ったりとか、アレするとか」 〝アレする〟とはつまり、一線を越えてしまうことを言いたいらしい。「先生はそれでもええんですか!?」「それは……えっと」 私にそういう願望がないのかと訊かれれば答えは「ノー」なのだけれど。――まあ、相手は自分の想い人だし? でも、今この段階で、酔いで我を忘れている原口さんを相手にそれはない。「……って、それどころじゃないでしょ!? 今晩『泊まって』言ったのは、ただの親切心からだけですから! 下心(したごころ)なんてないですからね!?」 ……そう。ただ単に、この酔っ払いと化(か)した彼を放っておけないだけ。決して、彼が前後不覚なのをいいことに誘惑してしまおうなんて気は、私にはさらさらないのだ。「……ホンマですかぁ? それ」「ホントですってば!」 ジト目でしつこく訊かれ、私はムキになって答える。……いつもの私と原口さんとのやり取り。アルコールが入っているせいか、ヘンに意識しすぎることなく自然に接することができている。――それにしても、私はさっきまでの彼の取り乱しっぷりが気になる。「泊まっていって」と言っただけなのに、あの慌てようは……。どうも女性経験がないわけではなさそうだけれど。 だって、彼はイケメンだし長身だし(身長百五十センチ台半ばの私より二十センチは高いはず)、昔は彼女もいたらしいから、今だって女性が放っておかないと思う。 酔い潰れると前後不覚になるところなんかは手がかかるというか、母性本能をくすぐられるというか。そういうところも放っておけないし。 ……ただ、彼にはSっ気があるから、女性が彼の扱いに困るかもしれないとも思う。 できれば、原口さんが今フリーでありますように。そして――、琴音先生とも何もありませんように! 琴音先生(あの人)がライバルだったら、私はきっと敵(かな)わないから――。

    最終更新日 : 2025-03-06
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     ――何はともあれ、私は原口さんを今晩一晩だけ、私のマンションに泊めてあげることにした。とはいえ、ここは単身向けの物件。私が仕事部屋(兼寝室)として使っている部屋以外に、「部屋」と呼べる場所はない。「えーっと、寝る場所はどうしましょう? 私の部屋かリビングのソファーしかないんですけど……」 できることなら、ソファーはあまりお勧(すす)めしたくない。ウチのソファーはなかなか寝(ね)心地(ごこち)が悪い。私も何度かここで寝る羽目(はめ)になったことがあるからよく知っているけれど。朝起きた時、必ずと言っていいほど首が痛くなっているのだ。「私の部屋で寝ます? 床(ゆか)にお布団(ふとん)敷いて」 確か、納戸(なんど)に予備の布団が一組あったはずだ。ソファーよりはいくらかマシだと思う。「ええ~、床ですか……?」「床がイヤなら、ソファーか私のベッドで一緒に寝てもらうことになりますけど?」 不服そうな(……なのかどうかは定かじゃないけど)原口さんに、私はイタズラっぽく言ってみた。「い……っ、いやいやいや! ダメですよ、そんなん! 一緒の部屋で寝るだけでもダメですって!」 原口さんの顔がさっきより真っ赤になる。関西弁が抜けていないところを見るに、まだ酔っているには違いないだろうけど。これはどうもそれだけじゃないように見える。 ……もしかして照れてるの? そうだとしたら、ちょっと可愛いかも。「僕はソファーで寝ますから! 一緒の部屋で寝るのだけはカンベンして下さいよー」 そんなに拝(おが)み倒すほど、私と同じ部屋で寝るのが苦痛なの? 冗談(じょうだん)で言っただけなのにちょっと傷付く。「……分かりました。冗談ですって。――じゃあ、納戸から毛布か何か持ってきます。クッションを枕代わりにしてもらえば」「何から何まで、ホンマにすんません。一晩お世話んなります」「いいええ」 私は謝り倒す原口さんにニッコリ笑顔で応じ、彼がソファーで寝るための準備にとりかかった。酔っ払いを外に放り出すほど私は鬼(オニ)じゃない。ましてや、好きな人ならなおさら。 ――準備が整(ととの)うと、彼はジャケット脱いでゴロンとソファーに横になった。「じゃ、明(あ)かり消しますね。原口さん、おやすみなさい」「ふぁ~い……」 窮屈そうに背中を丸め(そうしないと、長身の彼は足がはみ出して

    最終更新日 : 2025-03-06
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    最終更新日 : 2025-03-06
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    最終更新日 : 2025-03-06
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    「内容はもちろんですけど、先生の原稿そのものから勢いというか、パワーみたいなものを感じるんです。『書くのが楽しい!』っていうのがガツンと伝わってくる」「へぇー、そうですか……。それはどうも」 彼の熱弁には若干(じゃっかん)引いたけど、正直私は嬉しかった。私の小説を一番愛してくれているのは原口さん。――それが本当だったんだと分かったから。 たとえ私自身のことを「好き」って言ってくれたんじゃなくても、好きな人の口からその言葉が出ただけで嬉しいやら照れ臭いやらでなんかむず痒(がゆ)い。「でも、パソコンの練習してるってあれ、本当だったんですね」「はい。……って、信じてなかったの!?」 私は思わず飲んでいた麦茶を噴(ふ)きそうになった。敬語も抜けちゃったけど、今はそれどころじゃない!「信じてましたけど。執筆のためにじゃないなら、僕はタッチすべきじゃないかと思ったんで」「…………」 これを優しさと取るか、冷たく突き放(はな)されたと取るか。私は反応に困った。「編集者としてはやっぱり、うるさく言うべきなんでしょうね。作家の将来のためだ、って。――でも、僕個人としては、先生には今のままでいてほしいんです」 今のまま。――背伸びせず、ムリをしないで、ってことなのかな?「だから、アルバイトのためにパソコンの練習をしてると聞いて、先生がムリなさってるんじゃないかと思って心配だったんです」「〝心配〟って……。でも、私にとっては必要なことなんです」 私はつい、原口さんにグチっていた。「私、まだパソコンに慣れてないからバイト先でいつも周りの人に迷惑かけてるんです。今日だって、お客様にお時間取らせちゃったし」「そうですか……。それで今日、ちょっと元気がなかったんですね」「えっ、気づいてたんですか?」 私は心底(しんそこ)驚(おどろ)いた。――この人、私のことをよく見てるなあ。まだ二年ちょっとの付き合いなのに、私のほんの些細(ささい)な変化も見逃(のが)さないなんて……。「はい。先生ほど表情がコロコロ変わる人はいませんから」「ああ……、そういうことか」 やっぱり私って分かりやすいらしい。 ちなみに今、このリビングはナツメ球の灯りだけで薄暗(うすぐら)いので、きっと彼には見えていない。一緒に麦茶を飲んでいるこの十数分間にもコロコロ変化していた私の表情が。

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    最終更新日 : 2025-03-06
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     再びソファーに横になった原口さんに毛布をかけてあげると、私は自分が使っていた分のグラスもお盆に載せてキッチンの流しまで持っていき、キチンと洗いものを片付けてから部屋に戻った。 時刻は十一時半。ベッドに潜(もぐ)り込んだけれど、ドキドキしていてなかなか寝付けない。 ――さっきは期待して損した。でも……、彼は優しくて真面目(マジメ)な人だ。 酔い潰れていても、決して狼(おおかみ)にはならなかった。むしろ、「泊まるなんてとんでもないです!」と遠慮していたほど、彼は紳士(ジェントルマン)だ。 彼ならきっと、恋人になっても私のことを大事にしてくれる。潤(アイツ)みたいに非情(ひじょう)な選択を迫ったりしないだろう。「……あー、明日もバイトだ。早く寝なきゃいけないのに……」 何度か寝返りを打っているうちに、すっかり疲れ切っていた私はいつの間にかストンと眠りに落ちていた――。   * * * * ――翌朝。熟睡というほどの熟睡はできなかったけれど、私は何とか朝七時に目を覚(さ)ました。 それは決して、リビングで眠っていた原口さんのイビキがうるさかったから……ではなく。「好きな人が一つ屋根の下にいる」という状況と二年も離れていたから、久々に味わうスリリングな夜に馴染(なじ)めなかったせいである。 ただ、私は基本的に朝には強い(ただし、締め切り明けには必ず撃沈(げきちん)している)。バイトの出勤日には、たとえ前の夜にお酒を飲んでいてもちゃんと朝早く起きられるのだ。 洗顔と身支度を済ませ、今いるのはキッチン。二日酔いになっているだろう原口さんのために、私の朝ゴハンも兼ねてシジミ入りのお味噌汁を作っているところだ。「――うん、上出来」 味見をして、会心の出来に満足して頷く。ちゃんとお出汁(だし)がきいていて、お味噌の味も濃(こ)すぎず薄すぎずちょうどいい。 キッチンからは、原口さんが寝ているリビングが丸見えだ。 ここまで来る時、私は彼を起こさないよう細心(さいしん)の注意を払った。……まあどのみち、二日酔いで撃沈している彼のことだから、そう簡単に目を覚まさないとは思うけれど。 ――余談だけれど、サラリーマンである私の父もお酒に弱くて、母がよく二日酔いの父のためにこうしてシジミ汁を作ってあげている。……多分、今も。 アルコールが苦手でもお酒の席には付き

    最終更新日 : 2025-03-06
  • シャープペンシルより愛をこめて。   4・縮まる距離、そして元カレとの再会 Page7

     昨夜、原口さんは部屋が薄暗くて私の姿が見えなかったから、どうにか理性を保てていられたらしい。 じゃあ、もし部屋がもっと明るくて、私の格好がよく見えていたらどうなっていたんだろう? 私はショートパンツ姿で、ナマ足を惜(お)し気(げ)もなく(?)披露(ひろう)していたし、胸だってけっこうグラマーな方だと自負(じふ)している。 それに、湯上がりだったからいい香りもしていただろうし。 数週間前の朝、私の寝起き姿を見た時だって、彼は落ち着かない様子だった。もしかしたら、本当にキスどころか一線を越えてしまっていたかもしれない。「いやいやいやいや! ないない」 だって、あの原口さんだもん。優しいけど生真面目(キマジメ)。そんな彼が、理性を失って豹変(ひょうへん)するなんて想像がつかないのだ。「…………考えるの、やめとこ」 もう一度ため息をついて、私は暴走しがちな思考を打ち切った。「――おはようございます」 刻み終えたお漬けものを小鉢(こばち)に盛り付けている間に、原口さんが起きてきた。「あ、おはようございます」「昨夜はご迷惑かけてすみませんでした」「いえ、別に迷惑だなんて……。――あ、ソファー、寝づらかったんじゃないですか?」 しきりに首の後ろをさすっている彼に、私は訊いてみた。「あー……、はい。ちょっと首が……」「やっぱり?」 ウチのソファーで寝た者の、当然の結果である。しかも、彼は長身なのにムリな体勢で寝ていたからなおさらだろう。「あと、頭も痛くて……。二日酔いかな」「……はあ」 それは知らんがな。弱いのに潰れるまで飲んだんだから、自業自得だろうに。 とはいえ、シジミのお味噌汁を作ったのは正解だったみたい。「朝ゴハン、食べて行かれますか? シジミ汁と白菜のお漬けものですけど」「ああ……、どうりでさっきからいい匂(にお)いがするわけだ。ありがとうございます。頂きます」 原口さん、食欲はあるみたい。私もホッとした。「じゃ、今から支度するんで、その間に洗面所で顔を洗ってきて下さい。――あっ、玉子焼きか何か作ります?」 朝ゴハンとはいえ、男性はそれだけじゃもの足りないんじゃないだろうか?「いえ、大丈夫です。二日酔いの胃には重いので。――じゃ、顔洗ってきます」 彼が洗面所に行くと、私はテーブルの上を整えながら反省した。 考え

    最終更新日 : 2025-03-06

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  • シャープペンシルより愛をこめて。   6・伝えたい想い Page9

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  • シャープペンシルより愛をこめて。   6・伝えたい想い Page8

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  • シャープペンシルより愛をこめて。   6・伝えたい想い Page6

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     実家を出たその足で電車を乗り継ぎ、私は新宿にある美加の職場へ。 ――ジューンブライドにはまだ早いけど、結婚式場のチャペルには式を挙(あ)げている幸せそうなカップルと、彼らを祝福する大勢の参列者がいた。 今日がいいお天気でよかった。人生の新たなスタートを切った二人の未来が明るいものになるようにと願いつつ、私は美加が働いている事務棟(とう)に入っていく。「――あ、奈美! 今日は来てくれてありがと! 待ってたよ~!」「美加ー! 久しぶり~~っ!」 エントランスで待ってくれていた美加と私は、ここが彼女の職場だということも忘れて会った瞬間に抱き合った。時間が一気に高校時代に戻った気がする。「奈美、元気そうだね。本読んでるよ、あたし!」「ありがと、美加! 仕事中にゴメンね!」 結婚式場のユニフォームである紺色のスーツを着ている彼女はすごく誇らしげだ。首元のオレンジ色のスカーフが眩しい。「いいってことよ☆ 上司にはちゃんと言ってあるから。『今日、作家の巻田ナミ先生が取材に来るんです』って」「美加ぁ~……」 確かにその通りなんだけど、お願いだからハードル上げるのはやめてほしい。「ウチのチーフがね、巻田ナミの大ファンでさ。奈美が来るって聞いた途端にテンション上がりまくっちゃって」「へえ、こんなところにも私のファンがね」 親友の上司も私の本を読んでくれているなんて。世間(せけん)って狭いというか何というか。「っていうかあたし、奈美が一人で来るなんて思ってなかったよー。てっきりついでに彼氏でも紹介してくれるもんだとばっかり」「いないよ、彼氏なんて」 私はキッパリ否定した。というか、どこの世界に恋人を取材に連れてくる作家がいるんだろうか。……いや、探せばいるかもしれないけど。「だってさあ、アンタのその格好がなんか気合入りまくってるから」「あー、そういうことか」「……は?」 さっき実家で、「予定がある」って私が言った時に両親が「デートか?」ってやたら騒いでいた理由がやっと分かった。 私が今日着ているのは七分袖のフワッとしたカットソーに白のチノパン、そしてスニーカーではなく若草色のフラットパンプス。実家に帰るだけならまだしも、「取材だから」とやたら気合を入れてめかし込んできたら、誤解を生んでしまったらしい。「ううん、こっちの話。――あ、そうそう

  • シャープペンシルより愛をこめて。   6・伝えたい想い Page4

    「いや、〝迷惑〟なんてとんでもない。その頑固さがあったから今のお前がいるんだろ? もし父さんの言いなりになってたら、お前は今頃悔(く)やんでたんじゃないか」「……うん、そうかもね」 私は元々、刺激のない毎日も、誰かに使われるのも好きじゃない。性(しょう)に合わないのだ。 普通に就職して会社勤めをしていたら、確かに安定はしていたと思う。毎月キチンとした収入が入り、正規雇用で将来も安泰(あんたい)。 でも私は、誰かのご機嫌(きげん)伺いをしながら退屈な毎日を送るなんてまっぴらごめんだった。やりたいことがあるなら、それを仕事にするのが一番いい。生活は大変だけど、認められた時の喜びは大きいしやり甲斐もある。「私、作家になったこと後悔してないよ。楽しいことばっかりじゃないけど、自分が選んだ道だもん」「そうか。それを聞いて安心したよ。父さんも母さんも、これからも応援してるからな」「そうよー。困ったことがあったら、いつでも連絡してらっしゃい」「うん! 二人とも、ありがと!」 やっぱり、家族が味方っていいな。小説家って孤独(こどく)な職業だけど、こうして支えてくれる人達がいるから「私、一人じゃないんだ」って思える。それってすごくありがたいことだと思う。「――そろそろお昼の準備しなきゃ」 母が壁(かべ)の時計を見て言った。時刻は十二時五分前。あれだけのアルバムを見て、両親に話を聞いていたら、もうそんな時間になっていたのだ。「チャーハンとスープでいい?」「うん。――あ、手伝うよ」 母と二人で台所に立つのもお正月以来だ。でも、独(ひと)り立ちしてからずっと自炊をしているから(たまに手抜きで外食やテイクアウトも利用するけど)料理の腕は日に日に上達している……はず。 親子三人で食べる久しぶりのゴハンは、楽しい両親のおかげで賑(にぎ)やかだった。 お昼ゴハンが済むと、私は後片付けを手伝ってから実家を後にした。「今日はありがと。慌ただしくてゴメンね。またゆっくり来るから」 出がけに玄関まで見送ってくれた両親にお礼を言うと、母に逆に謝られた。「こっちこそ、大した手伝いもできなくてゴメンね。美加ちゃんによろしく伝えてね」「うん。伝えとくよ。じゃあまたね!」

  • シャープペンシルより愛をこめて。   6・伝えたい想い Page3

     ――麦茶のグラスを置くと、私はアルバムの山を抱えてソファーに戻った。「重いだろ? 父さんも手伝おうか」「あっ、ありがと。助かるよ」 父にも手伝ってもらって、全部のアルバムをソファーに運び終えた。「ゴメンね、お父さん。狭くなっちゃたけど……」 ソファーの上をほとんどアルバムに占領(せんりょう)されてしまい、端っこに追いやられてしまった父に、私は申し訳ない気持ちになった。「いいって、気にするな。父さんはカーペットの上にでも座ってるから」「うん……、お父さんがそれでいいなら」 この家の主(あるじ)は父なんだけど、本当にいいのかなあ?「――さて、どれから見ようかな」 アルバムは小・中・高校・大学の卒業アルバムからポケットアルバムまであり、卒アル以外はいつ撮(と)られた写真かすぐに分かるように背表紙にラベルシールが貼られている。 ここはやっぱり年齢順でしょうと、私はまず幼い頃の分を開いた。「わあ、懐(なつ)かしいな。私、小さい頃ってこんな感じだったんだー」 お宮参り、お食い初(ぞ)め、初(はつ)節句に七五三。保育園の入園式にお遊戯(ゆうぎ)会。何かの節目(ふしめ)や行事のたびに、私の両親はフィルムのカメラやデジカメで私の写真を撮ってくれていた。「――あ、コレ……」 大学時代の写真は半分以上、潤との2(ツー)ショット写真だ。私が自分のスマホで自撮(じど)りした写真をコンビニプリントしたのだ。 その中には、成人式の時に二人で撮ったものもある。潤と別れる数ヶ月前の写真だ。アイツと二人、こんなにいい表情(かお)をして笑っていられた時期もあったんだなあ……。「――奈美、少しは参考になった?」 大学の卒アルまで見終えると、母がそう訊いてきた。「うん。おかげで私、自分がどんな人間なのか客観的に分かった気がする」 自分自身を第三者的な目で俯(ふ)瞰(かん)する機会なんてめったにないから。この仕事を通じていい機会をもらえたと、原口さんに心から感謝したい。 ――そうだ! ちょうどいい機会だし、両親に改めて訊いたことがないからこの際訊いてみよう!「ねえ。お父さんとお母さんから見て、私ってどんな子だった?」 クッションを抱き締め、私は初めて両親を〝取材〟した。――ノートと筆記具を出そうかとも思ったけれど、両親相手にそこまでするのは大げさかな、と思った

  • シャープペンシルより愛をこめて。   6・伝えたい想い Page2

    「――お茶が入ったわよー」 母がお盆を持って居間に来た。そして自分と父の前には湯呑(の)みを、私の前には冷たい麦茶が入ったグラスを置く。私が猫舌だということを、ちゃんと覚えていてくれたらしい。「ありがと、お母さん。――あの、アルバムも。大変だったんでしょ?」「娘がいい作品書くためだったら、親ならこれくらいの協力惜しまないわよ。ね、お父さん?」 母に水を向けられ、父も頷いた。「ああ」 私っていい両親を持ったなあ。――そうしみじみと実感しながら、私はグラスの麦茶を飲んだ。「――今日はゆっくりしていけるのか?」「そうよ、奈美。今晩泊まっていったら?」 その両親が、矢(や)継(つ)ぎ早(ばや)に訊ねてくる。「ゴメン、二人とも! 泊まっていくのはムリなの。明日はバイトあるし、今日も午後から予定があって……」「予定って、もしかしてデートか?」「あら! あんた、そんな男性(ひと)いるの?」「いないよ、そんな人っ!」 私は麦茶を噴きそうになった。確かに好きな人はいるけれど、原口さんはまだそんな人(=(イコール)デートする相手)には当てはまらない。――私の中では〝予定〟もしくは〝候(こう)補(ほ)〟ではあるんだけど。「そうじゃなくて、友達に会いに行く約束してるの。――中(なか)野(の)美加(みか)ってコ、覚えてるでしょ?」「ああ、美加ちゃんね? 覚えてるわよ」 美加は私と小・中・高校まで一緒だった幼なじみの親友で、この家にもよく遊びに来ていた。「美加ね、この春から新宿(しんじゅく)の結婚式場で働いてて。今日も出勤してるらしいから、職場まで会いに行くことになってるの」 彼女は高校を卒業後、「ウェディングプランナーになる」という夢を叶えるべくブライダル関係の専門学校に進み、先月晴れて今の職場に就職できたのだと、本人からLINEをもらった。「そうか……、残念だ。久しぶりに帰ってきたと思ったのになあ」「そうねえ。――でも早いものね。美加ちゃんももう社会人なんて」  ……そっか。私の同級生だった子はほとんどみんな、今は社会に出てるんだ。私みたいに非正規だったりもするけど。「うん……。――あー、でもお昼まではこっちにいるから。アルバム見せてもらって、お昼ゴハン食べてからここ出るね」 親子三人揃ってゴハンを食べるのも久しぶりだ。普段は一人淋しく食事

  • シャープペンシルより愛をこめて。   6・伝えたい想い Page1

     ――土曜日。私は母に電話した通り、墨田(すみだ)区内に建つ実家に帰った。 この家は二階建ての建(た)て売(う)り物件で、そんなに立派じゃないけれどちゃんとした父の持ち家だ。作家デビューするまでの二十年ちょっと、私はこの家で育ち、大学にもこの家から通(かよ)っていた。 そして、洛陽社からの大賞受賞の連絡を受けたのも、この家でだった。「――ただいま、お母さん!」 帰るのは実に数ヶ月ぶりとなる実家の玄関で、私は出迎えてくれた母に笑顔で言った。 前に帰ってきたのは今年のお正月だった。バイト先である〈きよづか書店〉もちょうどお正月休みで、その頃連載の仕事(今月出た新作の一コ前)を抱えていた私は実家に書きかけの原稿を持ち込んで、自分の部屋で仕事をさせてもらっていたっけな。「お帰りなさい、奈美。お父さんなら居間(いま)にいるわよ」「うん。ありがとね」 私は居間に向かう。母は「お茶でも淹れてくるわね」と台所に消えた。 母は四十八歳。今でも現役(げんえき)で高校の国語教師をしている。父は母の二歳年上で、大学時代の先輩後輩らしい。社会に出てから再会して、付き合い始めたんだとか。「――お父さん、ただいま。久しぶりだね」 居間のソファーに座ってTV(テレビ)を観(み)ていた父は、私が声をかけるとリモコンでTVの電源を落とし、嬉しそうに顔を綻(ほころ)ばせた。「お帰り、奈美! 元気そうで何よりだ」「うん、元気だよ。――ごめんね。お休みの日に、しかもこんな朝早くに」 今は朝の九時半。父も本当はもっとゆっくり寝ていたかっただろうに。私のために早く起きてくれたのだとしたら、ちょっと申し訳ない。「いやいや、気にするな。父さんがな、お前が久しぶりに帰ってくるって母さんから聞いて、楽しみで早く起きちまっただけだ」「そうなんだ?」 私もソファーに座った。居間のカーペットの上には、私がお母さんに頼んであったアルバムが山のように積(つ)んである。大小も、厚みもさまざまだ。「――ああ、それな。さっき母さんと二人がかりで家の中ひっくり返して見つけてきたんだ。大変だったぞ」「そっか……、ありがと。感謝します」 父とは、進路を巡(めぐ)って対立したこともあった。でも私は、父を恨(うら)んだことは一度もない。今思えばあれは、娘が心配な親心からだったんだと思えるから。

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